参加型チャリティの話

9月の収穫はなんといっても、チャリティというものに初めて関わり、そこで知り合った人から、気楽にチャリするという精神を学んだことだ。今までチャリティと言えば、慈善という言葉が浮かび、なんだかいやだなと思っていた。何か上から施す、という気配を感じてしまって。ところが、ほんとはそうじゃないのね、チャリティって。

その知人から学んだこと。チャリティは、本来気軽に一人でもやろうと思えばできるのだ。出来る範囲で。自分も楽しむ。その人と話しているうちに、彼女が子どもの頃イギリスで暮らしたことがあり、かの国のチャリティを経験していたことを知った。例えば制服を着ないで私服で登校してもよい日というのがあり、私服で登校したら、ワンコイン募金する。湖一周歩いて、ワンコイン。このように何かイベントに参加して自分も楽しんだので、ワンコイン募金する。これだったら、子どもでも出来るし、施しましたじゃなくて、楽しんだので、そのことに対して代価を支払うという感じで、気分がよいなあと、彼女の話を聴きながら思ったことだった。


今回私が手伝ったチャリティも、自分たちが、懐しい人たちと再会してとても楽しい数時間を共有したのだから、これも参加型のチャリティ(勝手にこう呼んでいる)だなあ。

ふと、例えばドラムサークルをして、子どもや若い人たちもチャリティできないかしら、と思う。すでに何度か漂流教室と一緒にドラムサークルをやって楽しんでいるが、これにもしチャリティの要素を加えると、参加する子どもたちも、ただ楽しむだけではなく、同時にささやかだけど社会に貢献することになる。本当にワンコインでいい。100円でもいいのだ。金額の問題じゃない。子ども支援と言うけれど、子どもだって支援されるばかりじゃなく、世の中の役に立てたら嬉しいだろう。なんらかの状況で無力感を味わっている子どもには、なおのこと、自分の中に力に気付いて欲しい。力が奪われているだけだということを知って欲しい。また、いつまでも動き出さない子どもたちに対し、大人は早く社会に出て行かないか、どうしたら社会参加するんだろう、このコは!などと考え勝ちだけれど、就職、就労、ボランティアの他に、チャリティという参加の仕方もあると考えたらどうだろう。


先日ある人の話が言っていたのだが、いきなりホームランを打とうとするのではなく、とりあえず一塁に出ようという発想。そしてその出方にも色々あるということ。また、一塁に出るにはウォーミングアップも必要、と。チャリは一塁にも、ウォーミングアップにもなるのではないか。

イギリスの学校のチャリティの話から、こんなことを考えていた。それと、問題解決療法を学んだことも、影響しているね。特にブレーンストーミングはなかなか良い。どんなしょうもないアイディアでも、とにかく出すのよ。下手な鉄砲数打ちゃあたるってわけです。


誰か私の代わりに、企画・連絡業務やってくれないかなあ。さすがに私、もう今年は新しい企画は無理だもの。
ということで、とありあえずずっと気になっていたことを書いてすっきり。これから家の片付けと雑用です。ふう。家の中は散らかっているが、私の頭の中は整理された(爆)。