引受けることと、回りとのつながり


久々に子どもとゆっくりおしゃべりする。それぞれ自分に与えられた状況―例えば乳がん―を結局は本人が引受けるしかないよね、他の誰も代わることはできないよね。というようなことを、娘が言った。さらに、もし私が運悪く、乳がんで死んだとしても、自分には信頼できる仲間や大人がいるから、おかんは自分が亡くなった後の家族のことまで心配することはないからね、と言っていた。その話が一つ。また少し大人になったなと思う。


それからもう一つは、20代はやっぱり10代よりずっと楽だよ、という話をしていた。特に今若者が置かれている状況が厳しい中、ダメや、色々なことが上手く行かない、というのが自分だけじゃなく、回りの友人たちも基本になっているという話だった。でも皆で、「ダメだなあ、でもまあ、明日もがんばろうか」といった雰囲気で、これはなかなか良いなと感じた。単に生物学的に年を重ねるだけではなく、仲間や信頼できたり、またあこがれる大人との関わりの中で、上手く行ったり行かなかったりという経験を積んで、生きるのが楽しかったり、楽になったのだろうなあと、彼女の話を聞いて思ったことだった。

困難は、引受けるのは本人だけど、側面から応援してくれる人たちがいてくれるのと、いないのでは随分違うよね。自分のこととして引受ける本人と、応援する周囲は、人が生きて行く上で車の両輪みたいなものじゃないかな。親の会の例会が近づいて来たので、ちょっと応援モードの私。また新しい方が来られる予定。うちの親の会は専門家がいないので、専門的なことはわからないけど、つながる安心感は、提供できるはずだ。ここへ来れば何かある、何か安心できる、なんとかなりそうだ。そんなふうに思ってもらえると、嬉しい。