自分の考え方の限界を超えて


先日小倉恒子さんのブログを読んでいたら、余命を告げないのが良しと考える医師(お名前を覚えていないのですが)のことが書かれていた。それを読んで色々思う。


4月に再発・転移が発見され5月に手術した時、私は余命ということをぼんやりと考えていた。主治医に後どれくらい生きられるのか尋ねたりして。もちろん、「わからない」と言われたけど。「だから、1日1日を大切に生きなさい」と言われた。その時、主治医には言わなかったけれども、余命が1年くらいとわかった段階では教えて欲しい、押し入れを片付けなくちゃならないから(爆 押し入れに代表される諸々の片付けデス)と内心思っていた。それまでは好きなことをして、最期に片付けて〜などと考えていたのだ。飛ぶ鳥跡を濁さず?でしたか。そんなことわざもあったわね。


つまり、人生の最後はちゃんとお片付けをして行きたいと思っていたわけ(そんな元気があるかどうか怪しいけれど)。しかし、その考え方、もしかしたらつまらないかもねえ。余命を告げられて片付けて、という生きかたでは、告げられた余命通りになってしまうかもしれない。未来の否定的な予想はなぜか当たる、というアレですね。やはり、後1年、後半年かもと医師が判断できたとしても、死ぬその日まで、余命など知らされていない方が良いかもしれないなあ。


そうすると、人生の最終章を楽しみつつ、死んだ後のことはよろしくね(爆)となるのかしらん? 両方とも、ほどほどってことかな。


そう言えば、がん患者の心得?として、自分の限界を超えて行け―というのが何かに出ていたかも。


あと1ヵ月で最初の乳がん手術から、2年。色々あったけれども、元気で過ごせてきたと思う。よかった〜。



・今ネットを見たら、飛ぶ鳥ではなく、発つ鳥、だった。さらに面白いことが書かれてあった。実際は、発つ鳥は「あとを気にせず」らしい。ほお〜。