つまりそういうこと


テレビに田部井淳子さんが出ると知り、なんとなく見ることに。なんと、2年前に乳がんの手術をされたのだって。乳がんについてケロッと語る口調と表現が、可笑しくもあり、楽しくもあり、共感して観ていた。乳がんを自分で見つけた時、「来たな〜!」って思ったんだって(笑)。聞き手が、「失礼ですが」と前置きして、えーと、正確な表現を忘れてしまったけど、確か、悲壮感はなかったのですか、というようなことを言っていたように思う。

聞き手が言っている「悲壮感」って、がんになる=とっても悲壮なことにちがいない、という社会通念によって出来上がったイメージだよね。「失礼ですが」というのは、どういうニュアンスかしら。考えてみると、興味深い。普通悲壮感がありそうなものなのに、あなたは普通と違って悲壮感がない、ということを言うのを失礼と感じているということのほかに、もっと、ありそうだ。

随分前に買った『がんのセルフ・コントロール』を読んでいるが、とっても面白い。がんだけじゃなく、不登校にも応用できそう。主語を不登校と置き換えて見ると、おおッと納得する箇所が何箇所もある。がんというと死に近いというイメージも、社会通念によるものだ、とあった。人間は、積極的に自分の健康や、がんからの回復に重要な役割を果せる力を持っているのだけど、それを妨げるのは、例えば、勇敢に闘病したとアピールする一方、最期には死ぬということで、死をもアピールしてしまうテレビドラマを観て、がっくりすることなのだ。


不登校も同じじゃないかな。社会が抱いているイメージがとてもネガティブだ。そのことが、益々子どもとその親を追い詰めて行く。社会通念を横に置いて、ちょっと考えてみるのが良いと思う。前提をたまには疑って。