1年ぶりのあいの里

2009年春にがんが再発した時、他にも親のことなど幾つか気がかりなことを抱えていたので、これはたまらないわと思い、ストレス対策にメンタルサポートを受けたいと思って、某大学付属機関の相談室を訪れた。そこに月1で5,6回通って問題解決のコツとか習って終了した。

ストレスの要因は人生につきものであるし、ていうか、生きてる=ストレスだから、ストレスはある程度はあった方がいいのだけど、ということも今は私もわかっている。一方で、がんとストレスとの関係はおおいにあるらしい。そして、メンタルサポートを受けている方が長期生存できるらしい。自分でもそれはあたっている気がするので、別にうつでもなんでもない、元気なんだけど、長生きしたいので、精神面のサポートは時に応じて、積極的に受けたいと思っている。

あれから二年が経った。今いよいよ介護の問題も押し寄せ、自分なりになんとかやっているけれど、もうちょっと精神的にラクになりたいものだ、やっぱり色々負担に思っている自分がいるから、それを整理したい。そう思って、今日随分久しぶりに、行ってきた。



ポイント


1.なんとかやっている、の中身がどんな感じか整理してい見るとよい。 どんな風に感じて、なんとかやっている、と言っているのか。負担なのか。やりたくないけど仕方ないからやっている、とか、やらなければならないけどできていないのか、一言で「なんとか」と言っても、色々ある。
2.価値観のこと  自分が娘として役割を果たせているかどうか、最低じゃないか、とか思っていたが、役割を果たせているかどうかは、相手の側からみる。これ、わかりやすく書けるか自信がないが。例えば、自分では不十分と思っていても、親の言動から自分が役割を果たしているとわかる、ということ。「自分では、なんとかやっているけど、最低限度の支援ですよね」と言ったら、最低かどうかはわからない。価値観だから。その価値観をはずせるようになったら、ラクになる。というような意味だったと思う。正確に表現しているかどうか、自信ないけど。

ガン患者のイメージ? 関係ない。副作用がなかった?いいじゃない。 副作用のことは脇に置いていたらいい。などなど。いやあ、価値判断をしないって、難しいわあ。

今回も、一つ賢くなれるかもというヒントをもらって気がラクになって帰ってきた。

何週間も前、母の入院後最も疲れを感じた頃に、予約を入れた。私など単純なので、予約を入れたら、それだけで安心する部分がある。今までも、この人に相談すると、何かしらヒントをもらって、肩の力が抜けるということを経験しているからだろう。がんだけど、あんまり不安じゃない―いや、あんまりって言っても、自分で想像していたよりは、という意味。不安じゃないわけじゃないよ。大いに不安―のは、受けられるサポートは大いに利用して、自分で対策できそう、対処できそう、と思えるからかもしれない。自分だけでがんばらなくてもいいし、迷子にならない感じ?


あれ?なんか計算が合わない。そうだ、母の手術や退院後のゴタゴタが落ち着いた昨年秋に、一度相談室に行ったのでした。