5年前の今日、最初の手術でした


昨日夫が早く帰宅するというので、一日早いのですが、家で娘と夫と私の3人で軽くお祝いをしました。夕方から歌のレッスンに行き、帰宅して皆が揃って、のんびりと、届いたお鮨をいただいて、そして、今朝体重を測ったらなんと1キロ近く増えていて、驚いた。炭水化物の取りすぎだ。

5年間は、あっと言う間でした。いつもそばにいてくれる家族、友人、仲間に感謝です。

5年前に、初め抱いていたイメージは、5年後は生きているかどうかも怪しい、という悲観的なものでした。ましてや、元気でいるなんて想像しにくかった。普通に強い抗がん剤を標準量使い、、がん細胞も減るかもしれないけど、骨髄抑制もおきて、免疫力が下がり、元気が衰えていく自分。悲観的な予想をすると、理由は忘れましたがそれが実現しやすくなってしまう?ので、楽観的でいた方がいいということを知り、また、実際がん細胞があっても、まだそれで日常生活上の不都合があるわけじゃないこともわかり、心に不安はあっても、頭では理解して、かなり楽になったと思います。

術後一年半後の2009年4月に再発・転移。初発では現れなかったトリプルネガティブのがん細胞が見つかり、ドクターとゆっくり相談の上、同年7月からずっと今も、TS−1を隔日で飲んでいます。その後2011年7月からだったかしら?―だんだん呑気になって、記録はしてあることもあり、細かいことを覚えていないーエンドキサンを隔日で飲んでいます。専門的にどう言うのは知りませんが、私の状態は、ドクターの言葉を借りると、2009年以来「再発中」ということらしい。地道で弱い治療をしているので、今あるガンや影が、消えているわけではないから。


治らないので延命治療中ですけど、体にこたえる副作用がないため、感覚としては慢性疾患の治療と同じような感じでしょうか。私をぱっとみても、具合の悪い人には見えないでしょう。


N尾先生に、へたすりゃ20年生きるかもと言われたのは、5年前ですが、2009年には、アンタはこの病気ー乳がんーで命を落とすかもと言われている。それでも、20年説は、消えたわけでもなさそうだった。あと、まだ15年は生きれるかもしれない。そこまでとは言わないけれど、あと5年なんとか元気でいたいと思います。


これからの5年の間に、子どもたちが結婚したり、もしかしたら孫が生まれたり。夫が定年退職する日には一緒に祝ってあげたいし。この5年間に起きることを、見逃すのはもったいない。見届けたいじゃないですか。

でも、かなわない場合に備えて、自分の足跡を少しずつ残しています。孫たちが見て、盛り上がるような映像?と声ね。今日、スクールライブのDVDが届きました。笑えます。

そうそう、歌のこと。声楽のレッスンの一曲目は、日本語で歌う「エーデルワイス」でした。で、昨日から「夢路より」英語の「Beautiful Dreamer」。今までのボーカルレッスンも楽しかったけれど、こちらも楽しいです。声を集めて体全体に響かせられるようになることを目指しているのですが、そのこと自体、細胞にいいらしいので、期待しよう。神田橋條治さんの本に、自分の声を聴くのは良いと書いてあったことを思い出しました。脳内で、エンドルフィンが増えるのだろうか?レッスンは、至福の時間です。