「世の中の認識が苦しめる」、と、どこ吹く風

映画を見て思った。伊勢さんの映画に登場する小児がんを持った子どもたちは、10年間のキャンプの中で、仲間と細谷医師たちサポーターを得て、小児がんへの偏見など吹き飛ばせる人へと成長したのだろう。今や小児がんは不治の病ではなくなったそうだが、私自身も、そのことは映画を見るまで知らなかった。小児がんについて間違ったイメージを持ったままだった。昔、ほんの短い期間出会った子が,小児がんにかかり一年後には亡くなるという悲しい出来事を経験していて、以来、気の毒な、かわいそうな子だった、という思いをずっと抱いてきた。映画を見て、その子ががんになったことは悲しい出来事だったけど、「かわいそうな子」という表現はやっぱり違うな、と思う。

大体自分のことを振り返っても、がんになって可哀そうに、と状況について言われるのはかまわないけれど、可哀そうな「人」という目で見られたいかと言えば、NOだからねえ。ご近所の方で、会う度に体調どう?と聞いてくださる方がいるが、その人にとっては、やはり私は気の毒な乳がん患者なのだなあと思ってしまう。「人with乳がん」なだけなんだけどね、ほんとは。乳がんは私の一部。先日、数軒先の高齢のご夫婦に肺転移つきの乳がん患者だとカミングアウトする機会があったが―庭が草だらけの言い訳よーすると、「まあ、手後れだったの?」と言われた(爆)。そのことを大笑いできるくらいに、告知から3年たったらなってる私がいるんだけどねえ。そうなんだなあ、やはり、転移がんのイメージは、「手後れ」なのだねえ。

最近では、がん患者が主人公の悲しいドラマも、平気で見ている。涙も流すが、なんていうの、以前とは異なるニュアンスで見ている。これ、言葉に上手く表せないなあ。

喩えていうなら、外側の認識<自分の認識になっているから?自分が。世の中のがんに対するイメージ<自分の認識 というか。これは、では、どうしてこうなったかと言えば、やっぱり学習によるところが大きいと思う。あるいは、教育、ですね。例えば問題解決の仕方を学んだというのなんか、生涯学習。「落ち込んで寝てる場合じゃない、学ばないと」と思ったのは、放射線科でN先生と話たことから。広い意味での、教育だった。

前のブログがないので日付を確認できないが、乳がんが人間ドックで発見されてから、今日か明日で3年になる。あっと言う間の3年間です。元気でいるのは、映画の小児がんの子たち同様、私に信頼できる仲間や友人たちと、ドクターと、そして家族がいるからだね!