斉藤環さんの講演を聴いてきました。とりあえず思っていること

今日、札幌市教育文化会館で行われた、さっぽろ子ども・若者支援地域協議会 関係者向け研修 平成22年度第3回ユースアドバイザ―養成講習会に行って来た。左足の中指と甲が内出血でひどい色になっているが、じっとしていれば痛くないので、ゆっくり歩いていけたのはよかった。この回は一般市民も参加できる。うちの会も、代表と事務局計4人が参加した。

基調講演は斉藤環氏。正確には覚えていないが8年くらい前にも、聴いたことがあり、今回は二回目。前回は、まだ自分がひきこもりと不登校の親の会とを関連付けて考えていなかったせいで、あまりお話が頭に入ってこなかった記憶があるが、今回は、親の会としてやはり学習しなかければならないと思うことが多いこの頃なので、不登校についてはどのように語られるか、非常に関心を持って参加した。

聴き終わって、うちの会の初期の親たちが考え実践しようとしてきたことで、基本的にはやっぱりよかったのだと確認できた。

その前に、初期に参加してくれた研究者や、会の複数のメンバーの参加者がお世話になったフリースクールの先生から、「学校に行けなくても、大丈夫」ということを知識として学んでいたことは、本当に幸いだった。○○先生がそう言われるのだから、きっとそうなんだろう、と。その後、私たちは実際に子どもたちが紆余曲折を経て自発的に踏み出し、高校や大学へも行き、社会に出て行く姿を見た。今日斉藤さんも語っていた、自発性という言葉の大切さが思い出される。


私たちが見て学んできたことは、一親の会で見聞きしてきた我が子並びに他のメンバーの子どもの姿だ。いくらこれでいいのだと自分たちは思っていても、15年余の経験に基づく知恵に過ぎないところがある。無論研究者ではないから、たくさんのデータがあるわけではないた。だから一般化もできない。こうじゃないかと思いながらも、しろうとですのでという枕詞をつけながら、控えめにHPで、あるいは不登校分科会などで、言って来たつもりだ。

どんなことを経験から学んで来たかというのは一言で言えば、子どもが学校に行けなくなるのは、よくよくのことなのだから、登校を無理強いせず、まずは家庭で心身の休養を保障するということ。安心がキーワード。

学校へ行かなくても「かけがえのない我が子」ということは変わらないはず。昼夜逆転しても大丈夫、学校へ行けなくても大丈夫と子どもに言ってやる。学校さえ行けばなんとかなるという発想ではなく、その逆だ。子どもの笑顔が取り戻せれば。元気が一番。そのためには、今のあなたはそれでいいんだよと、受け入れる。元気になれば、行くな行くなと言っても、次のステップに踏み出すということを信じて来た。


また、子どもたちの姿から、見えて来たことを、先日学生さんたちに話した。その時のレジメのタイトルは、「不登校は多様な機関を利用しながら次のステップへ」そして、「つながりの中から生まれる偶然が、一歩踏み出すきっかけに」ということを話したが、これについては、斉藤さんも引きこもりへの対応についての話の中で「偶然が大事」と言われていたので、やはりそうだったのかと確認できた。

ちょっと休憩します。


講演会メモ

演題は『思春期のメンタルヘルスと引きこもり』

数ページに渡ってびっしり書かれている資料が配布された。このような資料は後から確認できるので有難い。ひきこもりとその対応・支援の話がもちろんメインだったが、初めに不登校の話も出ていたので。まずは、その部分のメモから。順番はばらばらです。


不登校への対応は、不適切な登校支援はだめ。
・一方、ほったらかしもまずい。
・子どもが最も恐れることは、親から見捨てられること。
・すべての子どもは、かまって欲しいと思っている。
不登校の一割くらいが引きこもる(by精神科医斉藤かずひこ氏)
不登校の議論が低調なのが心配。もっと議論を。有効な共通理解がないので、現場が混乱している。

資料から

■基本的対応―登校刺激の是非を巡って
・「どうすれば再登校するのか」ではなく、「どうすれば元気になるか」が重要
・学校に行けない時期を休養期間として保証し、子どもが呈しているさまざまな症状については、それをメッセージとして受容しながら「必要に応じて」治療も行う
・十分な休養の後に子ども自身が進むべき方向を選択できるまで、できる限り干渉を控えて見守ること
スクールカウンセラー適応指導教室、あるいは民間のフリースクールなどを利用すること
教条主義的な「登校刺激の禁止」の問題
・まずは関わりを持ち、働きかけながら状況を観察し、その結果にもとづいて、必要なぶんだけ軌道修正する


以下、メモから

・子どもは先に親に言われると、「今、やろうと思っていたのに」と」意欲を失う
・正しいことを本人が言うまで待つうな・
・子どもから自発的に出て来たことは、大体正解なのだ。これを信じられなければ、支援は難しい