「平成23年度 生徒指導研究協議会」の午後の部の「研究協議  不登校の未然防止と対応の在り方について」に参加して感じたこと

自慢じゃないが、講演などでこれはと思った事柄をメモするのは、得意な方である。ただし、しごく解読難解なみみず文字なので、自分でも日が経ってから読むと意味不明。

昨日のスクールカウンセラーの方の事例報告も、個人情報の部分ではなく、SCの対応の仕方の部分や、それに対するシンポジスト達のコメントをメモして来た。今日、解読できるうちに、読み直す。

あの時メモを取りながら、私は、このお話は非常にわかりやすい、イメージしやすい事例だと思っていた。ところが、会場から司会者かどなたか忘れたが、「よくある例ではあるが、個人情報に関わることなので資料配布がなかったので、参加した教師の方々には、イメージしにくかったかもしれませんが」という声があったのには、驚いた。そうなんだ〜。立場が違うからかしらね。私には、手に取るようにわかる気がした。私はアーベルの会が発足してからずっと関わって来ていて、16年間、毎月毎月数人、多い時には十数人で不登校について語り合う中で、似た様な話がたくさん出て来たので、そう感じたのだろうか。

この事例報告(SCの方の対応自体はとてもよい感じと、私は思いました)と、これに対するシンポジスト3者のコメントを聞いて、亀貝さん以外の二人の方、そしてSCの方に聞いてみたかったことが一つある。子どもが不登校になった時に感じる、学校に行けないという「自責の念」をどう扱うのかしらということ。親子それぞれの自責の念について、どう思っているのだろうか。

「自責の念」は、不登校の解決のキーワードなのでは?私昨日やっと気がついたのだが、不登校の解決って、世間や学校や、渦中の親たちは学校復帰と考えるだろうが、それは本質的な解決ではない。本質的な解決は、不登校した子が「してよかったんだ」と言う不登校をしたと「思える時」、解決したと言えるのではないだろうか? してよかったねと子ども自身が思う不登校経験。どうせなら、してよかったねという不登校を、って昔一時期私たちの会に参加していた研究者も言っていたが、その言葉を思い出した。

親の会では私たち経験者は、学校へ行けなくなった子どもたちのおかあさんに、「学校に行かなくても、大丈夫よ」と言える。心身が疲れて電池切れになっているのなら、十分休息するのが理にかない、心身がリラックスして疲れもとれてきたら、子どもはやはり外に向かって動き出す、という例を幾つも観て来た、と言える。言える、という言い方をわざわざするのは、学校現場では、立場上それは言えないからだ。SCも、立場上やはり言えないだろう。

そこで、疑問が一つ疑問が湧くのだ。弱って学校に行けなくなった子や、学校で何か理由があったり、なじめなくて登校したくない子に対して、「行かなくても、大丈夫だよ、行けなくても、大丈夫だよ」と言ってあげることなしに、自責の念を取り除くことはできるだろうか?それとも、自責の念を抱えたまま、再登校しましょうということなのだろうか?それなら、「自分はだめな子だ」という思いを背負ったまま日々を過ごして行く子は、果たして元気に成長していけるのだろうか?

どんなに良い対応であっても、学校に行かないでもいいんだ、他の道もあるんだよと言えなかったら、「学校に戻らなければ、自分はだめなんだ」という思いをどこか持ちこしていく気がしてならない。そういう子どもが、自信が持てるだろうか?


自信と自責の念。この二つから考えてみると、やはり亀貝さんの話(昨日の日記で言及した亀貝さんのブログを見て欲しい)に、説得力がある。そして、密かにそのことを感じた教師の方がきっとおられたなら、とても嬉しい。

それと、非常に印象に残った事が一つ。中学で不登校していても、高校に進学したならそれもまた、学学校復帰という声が出ていた。それならば、うちの会で言えば、学校復帰した子もたくさんいるのである。卒業し、さらに進学している。行けない時に、「学校に行っても行かなくても大丈夫」と誰かにはっきり言ってもらい、さらに日常の生活と無条件の愛を保証されたなら―つまり亀貝さんの言うところの「大事にされる、ないがしろにされない」と同じだと思う―むしろ、学校に行くという現実があるのだ。義務教育では、不登校であっても。

一日も早く学校復帰をではなく、一日もはやく元気になって欲しい、ということを願うことが、理にかなっているのではないか。あえて言うと、そう願った方が、結果として学校へも行くのだ。そしてそれが、元の学校じゃなくてもいいじゃない。大事なことは、自信と元気の回復と、自分のことがわかってくること、そしてその年齢なりに、自分で選択できるようになること。不登校経験は大変だけど、なってしまったって、もし今言ったような状態になったらいいのではないか。自分で選択できる若者になれるのだから。それは、その後一生宝になるはず。


追記・・・一日も早く元気にと言ったのは、亀貝さん。私もそうは思う。でも、ゆっくりでいいよ、ということもお伝えしたい。かかる時間は人それぞれ。ゆっくり元気になっていく子もいれば、さっとフリースクールに行って見違えるように元気になる子もいる。親の会の立場としては、親御さんを焦らせないことも大事なので。