すっかりご無沙汰しています

便りのないのは元気な証拠。今年はブログもサボってしまいましたが、元気に過ごしていました。

今年を振り返ってみます。

今年息子がめでたく結婚しました。そして来年にはベビー誕生の予定。生きているうちに、こんな嬉しいことが・・・。心から楽しみです。そして私は、おばあちゃんになります。

夏には、日帰りで2日連続で遠出するなどできて、まだ体力あるなあと自画自賛

秋には、某ミュージックスクールのクラシックコースの発表会で、声楽コースの生徒の1人として、「愛の賛歌」を歌い、一段と面の皮が厚くなりました。会場は某ショッピングセンターの一角にオープンになっている某カフェ。カフェ内は、参加者の関係者だとしても、カフェ横を通行人も大勢行きかうので、どんなに人だかりができて恥ずかしいかと思いきや・・・、あれって感じ(笑)?人は、そんなに他人に関心がないのだということが、よくわかりました。だから、ぜーぜん、平気。たぶん、静まり返ったホールで歌うよりも。もっとも、声楽に変更してから初めて歌う私には、家族や友人たち応援団がついてくれて、心強かったし、とても有難かった。きっと応援団の方が、私よりハラハラドキドキしていたことでしょう。

病院について

病院通いで忙しい(笑)

現在、月一で内科へ。これは血圧の薬を処方してもらうため。一カ月半に一度眼科へ。眼圧は、まあまあです。

乳腺外科は、ずっと二カ月に一度だったのが、秋にホルモン療法がタスオミンからフェソロデックスに変更になったてかは、4週に一度通っています。

ついでに、義母の通院付き添いが、内科と整形が二カ月に一度。

今年の冬はぎっくり腰で痛い思いをして整形に罹りました。それで、以後はできる限毎日、整形外科の主治医に頂いたチャ―トに従い、ストレッチを。そのかいあってか、この秋・冬は腰痛はない。

でも、秋に膝をカクっと捻って痛くした。そのまま予定をこなしていたら悪化し、件の整形外科で、人生で初めて膝から水を抜いてもらいました。それで、あっと言う間に治り、しかもイメージではとても痛いと思っていたが、ドクターの言ったとおり、ほとんど痛くなかったのね。

つい先日、また整形外科に。一カ月前から左指親指がバネ指になりました。以前、右の指がバネ指になりましたが、今度は左。今右手の親指人差し指がしびれ感覚がおかしいなどで、いつの間にか左手をよく使うようになっていたこともあるかなと思いますが、幸い安静にしていれば治ると言われ、実際少しずつよくなって来ています。またこの際と思い、以前から気になっていた、この右手指の筋力が衰えてきている件を、相談しました。リハビリに、箸でお豆をつまむのが良いと教わりました。楽器のキーボードは、一応聞いてみたが、指には負担だからダメとのこと。

そんなで、今年は整形外科で一通り気になることは伺って来たのが、収獲でしたね。そして、何度か通って信頼できそうなので、今後いつかやって来る骨転移の際も、救急外来があり、自分のカルテがあるこの病院に罹ろうかなあと考えています。下半身麻痺だけは、避けたいので。


もうすぐ次の検診です。異状ないといいなあ。異状なければ、乳がんが見つかってから7回目の年の暮れ、お正月を家で過ごすことができます。オンブラ・マイ・フの練習はどうしてもしたいし、まだまだ元気でいたいです!

 温存療法後7年目に入りました♪

すっかり御無沙汰していましたが、相変わらず元気です。今月半ばに、温存療法を受けてから満6年になりました。6年前、こんなに元気なまま生きているなんて全く想像できなかった。我ながらびっくりです。告知の際、すでに肺にCTでやっと見える程とは言え、小さな影があって、いきなりステージ4、がんの進行度から言うと末期と言われる状態だと知ったのですから・・・。

二カ月ぶりの検診は、丁度最初の手術である温存療法から満6年に当たる日でした。その検診結果を後で書こうと思います。


最新の血液検査の結果をスキャンして載せようとしたのですが、スキャナーの調子が悪いのか上手く取り込めませんでした。がっかり。

今月の検診

胸部レントゲン、左脇、左側鎖骨周辺、肝臓のエコー、診察。

肝臓は異状なし。肺の影は、増えてはいるが、ゆっくり。こちらは、6年前の温存療法の際の病理検査で、ホルモン感受性陽性のがん。左脇のしこり=がんは、2センチ(先月より2ミリ増えたかな?)。 首は前回と同じ0.8ミリ。これらは左脇のリンパから来ていて、4年半前の再発時に発見されたトリプルネガティブのタイプ。ネットなどから得たトリネガのイメージは、それこそ非常にネガティブなものだったが、ドクターの話では、やはり私のがんはのんびりしているタイプとのこと(トリネガも、現在7タイプあることがわかっていると前回の検診で聞いた)。

治療について


いよいよ、さらばタスオミン!ですよ。エストラジオールの数値がなかなか下がらないため、閉経後乳がんに適用のアロマタ―ゼを使うことができないでいた私だが、それでも閉経期に入っているため、フェソロデックスというホルモン剤を使うことになった。フェソロデックスは、かなりの優れモノのようだ。以下参照。http://gansupport.jp/article/cancer/breast/breast02/2617.html ただ、3割負担でも一回約3万円と、高価なのが難点だが。今までは経口専門で、二カ月に一度受診していたが、フェソロデックス筋注は、4週毎に打たなければならない。そして、初回、2週後、さらに2週後、その後は4週ごとに通う。いつまでか?効果がなくなるまで。これでなんとか肺の影の増長を防げるといいな。

後は、今まで通りの治療だ。信じられないが、TS-1は、2009年7月から隔日で服用してもう5年目に入った。エンドキサンもその1年半後くらい?から隔日でずっと服用。私の場合、初めから延命治療。辛い副作用のない、緩い治療という方針で来たので、当然体調が悪くてこの隔日治療を中断したことはない。まさにエンドレス、絶え間ない治療です。まるで慢性病のような。

続く

告知後満6年目の検診

なんだか忙しくてまとまった時間が取れず、更新が遅れてすみません。
乳がんとわかってから満6年を過ぎましたが、相変わらず元気です。

後日詳しく書きたいのですが、検診の結果、がん細胞は少しずつ増えているけれど、これまでと同様の治療でまた二カ月引っ張ります。二カ月後の検診日は、温存療法の手術をしてから満6年目になります。何か自覚症状が出ない限り、このままの治療、副作用のほとんどない辛くない治療のまま、7年目を生きることになりそうです。意外に私の体がしぶとくがんばっていることに、自分でもびっくりです。


がんは、今左脇に2センチ、首に0.8センチ、そして肺にはレントゲンでも小さな影がけっこう見えている状態です。

また、指のしびれと痛みは、リリカを服用することで、かなり軽減されました。痛みに比べると、しびれくらいなんのそのって感じ。それくらいのしびれです。

女性ホルモンがなかなか減らなくて困っていると言えば、困っています。数値上は未だ閉経状態とは言えず、従って相変わらずタスオミンです。閉経となれば、アロマタ―ゼ阻害剤に切り替えるのですが、今回もまだだめでした。


とりいそぎ、こんな御報告で。

今夜は歌のレッスンです。今日からシャンソン「私の心はヴァイオリン」です。知らなかった歌なので、ワクワクです。

  元気です♪

ご無沙汰していましたが、毎日元気に暮らしています。来週には二カ月ぶりの検診がやってきますが、内部でがんが勢力を増しているかどうかはともかく、今のところ心身共に元気。

指の件ですが、3月頃から感じていた時折差すような痛みは、最近はありません。しびれは相変わらずですし、指を使い過ぎると翌日腕がしびれるので、何か因果関係があるのかなと思うけれど、結局整形外科も脳神経外科もまだ受診していません。何て言うのでしょうね、最近の自分の傾向として、様子見様子見の連続で、あまり速やかに受診して不安を解消しようという気がなくなった気がします。自分の全身の元気な感じから、そう思うのかもしれません。あるいは、何かこれ以上不具合が見つかるのがイヤだからかも。ああ、そうかもしれない。

あ、では、また後日に

  異状はなかった

もうすぐ午後10時です。先日の採血結果に異状があればさすがにもう連絡が来ているはず。ということは、今回も血液検査上では、異変はなかったということ。万歳〜♪

5月18日の梅澤先生のブログを今読んでいて、もちろんお目にかかったことも、ブログにコメントしたこともないのですが、わかってくれる人がいるなあと嬉しくなった。私が選択しているゆるい地味な治療は、体には優しくても、ずーっと治療している=常にがんと共存していることは、精神的には決してラクではないということです。この頃になって、主治医に、もう5年以上前になりますが、「これから大変だよ」と言われたことの意味がわかるのです。

二カ月ごとに検診を受けて、結果を待つ。これをずっと休みなくやって来て、たまにこの長い長い治療から完全に解放されたらどんなにラクだろう!と思うことがある。もちろん、天に召される時が来れば、解放されるのですが(爆)。

がんもゆっくり行きつ戻りつしながら成長している。でも私もです(笑)。二カ月ごとに「今度も大丈夫ですように、いや大丈夫だろうか?」とハラハラしていてはとても身が持たないので、だんだん図太くなった気がします。

異状がなかったら万歳! 異状があっても自分が動じなければ、それはやはり万歳(がんも成長したけど、私もまだ成長しているということで)!異状があって落ち込んだら、それもまたよし。しばらく落ち込んでいよう。黙っていても、自動的に浮かび上がってくるだろうし、辛かったら誰かに泣きつけばいい。リカバリできることはもう知っているから。安心して、がっくりくればいい。今日は、そういう心構えでいました。どっちに転んでも、なんとかなる、と思えるようになったのは成長したアカし〜。目標は、治ることじゃなく―治らないと言われてるから―自分のささやかな進化。進行がんを持った進行人。

こんなことを書いているうちに、午後10時を過ぎました。これでまた、二カ月間今の治療です。嬉しいです。薬はTS−1とエンドキサンを隔日、タスオミンを連日。副作用対策にトラサミンとピドキサールを連日、ベネットを週に一度。

  元気なのでご安心を


検診は10日でした。今回は少し脇のしこりが大きくなっていたのですが、まだ前回同様の治療で引っ張ります。次回は二カ月後。また二カ月間美味しく食べて、どこでも行ける元気な暮らしが出来そうです。採血の結果は、異状があれば20日に連絡があることになっています。

現在の状況は、相変わらず地味な治療で勝たないけど負けないように、何て言うかおしくらまんじゅう的な、拮抗しているというか、ちょっと負けたりしながら粘っているうちに、またがん細胞の増長が抑えられたり、というのらりくらりな状況が続いているのかなあと、思っています。二カ月後に、また大きくなっていたら、その増え具合によっては治療が変わるかもしれませんが、昨年の秋同様、また持ち直すかもしれない。昨年そういうことを経験したので、ちょっとしこりが大きくなったからと言って、今回は不安はそんなに感じていなくて、この二カ月間の暮らし方によっては、自分の体力によっては、しこりはまた、成長するのをお休みしてくれるような気がしています。

指のことについては、ここ数日色々観察、ためしてみた結果、たぶん指の使い過ぎも関係していたみたい(爆)。というのは、使わないようにしていたら、症状が軽快するから。たぶん、ストレッチのオットセイポーズや、パソコンのやりすぎ 笑とかが、関係してるオソレありです。オットセイポーズの回数を減らしたら、腕まで筋が痛かったのは、治った。だから、たぶん脳転移ではないんじゃないかな。症状が指のしびれだけに戻れば、薬の副作用ということで。ドクターには、様子をよくみながら、だんだん悪化するとかおかしいなと思ったら脳のCTーMRIではなくーを受けることを助言されました。急いでとは言われなかったので、こちらも様子見。全体として元気なので、大丈夫じゃないかなと。

申しわけないくらい、胃腸の調子はよく、いわゆる不定愁訴もないため、腰痛が去った今、いたって元気なので安心してください。ただ、疲れがたまるとよくないので、一日出掛けたりして疲れたら、翌日は休養するようにしています。

  老化現象

1,2,3月はインフルに風邪、そして魔女の一撃ぎっくり腰に見舞われ、今月4月には、固いものを食べ過ぎて、歯ぐきが腫れてしまいました。 腰については整形外科で診てもらいましたが、骨転移などではなく、典型的な椎間板ヘルニア、よくこれで持っていましたねと言われ、腰椎症の人のためのストレッチのチャートを頂きまして、毎朝毎晩ストレッチをしています。慢性的な腰痛というのは経験したことがないのですが、どうも最近はパソコンに長く向かって同じ姿勢を続けていると、やや腰がだるいので、注意しないとね。

不調が続き、歌のレッスンもかなり休んでしまった。発表会は結局私自身が体調にも歌にも自信が持てないので、キャンセルにしてもらいました。

ところで、右手の親指、人差し指のしびれは冬の寒い時期の方がより強く感じました。じびれだけではなく、知覚過敏というのかな、ペッボトルの蓋など開ける時は痛いので、輪ゴムをして開けます。右手で重いフライパンなど持つのも、健康な時と比べると、大変です。3月にキーボードの練習をしていたら、右手が腫れて来て、痛みも出て来た。リンパ浮腫も一応疑いながら、まずは乳腺外科の主治医に相談しようと思っていたら、ぎっくり腰になってしまったので、保湿とリンパ浮腫の講座で学んだリンパドレナ―ジを、ちゃんとじゃないですがやっているうちに、腫れと痛みは治りました。薬の副作用は、しびれだけではなく乾燥しやすくもなるので、もしかしたら傷が出きてバイ菌が入ったかしら?よくわかりませんが、一時は包丁で野菜を切るのも難儀したので、落ち込みました。


あまり手を使わないようにしていたら、腫れと痛みは消えたので―痛みはたまに来ますが―次回の検診時に主治医に報告すればいいかな。


ただ、キーボードはやはり負担みたいで、手だけではなく、腕もしびれてくるので、やはりリンパ浮腫のリスク要因には元々違いないわけだから、バンドで担当するのをやめました。それで、ハモリ担当。歌によっては恥ずかしながらボーカルを。どのみち、練習オンリーのバンド?なので、恥ずかしいも何もないのですがね。


ということで、あちこち不具合が出たけれど、がんによって体調悪化しているわけではないので、まあいいです。ただ、
右手の使い勝手がこれ以上悪くなるのかどうか? というのもまだTS−1を隔日で服用しているのです。もし私がもうイヤだと言えば、主治医と相談の上、次の治療という選択肢もあるけれど、それは昨年言われていたポートを埋めて、二週に一度通院して、点滴による抗癌剤に移るということになるのかなと。

このようなことを考えながら、近藤氏の最新著書なども読みながら、次をどうしようかなと考えているところです。
近藤さんの理論には共感できないけど、ただ先の本で一つ「できるだけ治療を先延ばしする」とあり、その考えは取り入れようかなと思います。


がんというものは、その進行具合は、本当によくわからないものだ、と思う。私の場合、昨年の9月の時点では、その進み方を考慮した主治医の話から、11月くらいから新しい治療に移る可能性が高かった。でも、11月には京都へ行くなど、昨年は身辺が忙しかったので、お正月明けからにしてもらいたいと申し出ると、それでもいいとのことだった。その後11月の検診でも、1月の検診でも、3月の検診でも、治療は現状維持で良いということになっています。

この次の検診は5月です。4年前の4月に再発・転移がわかり、自分の誕生日に入院、左のリンパ節を少し取りました。その再発から、

あら?最後の部分が消えてしまた。 

再発から、満4年を迎えてもあまり大きな苦痛もなく元気に暮らしているなど、当時は思えなかった。トリプルネガティブ
について調べても調べても、予後が悪い、長く生きられない、みたいなイメージしか得られなかったので。
病棟で、主治医に「私あと何年生きられるんですか???」と詰め寄ったりしたことを、よく覚えています。

答えは、わかりません、です。全くそのとおりでしょうと、今は思えます。